一枚のTシャツにのせた、歴史と汗と、最高の心意気

企画展「はじまりの白」(2021.8.1~10.24) に出店してくださる皆様に、

なぜその分野で生きることを選んだのかを聞くシリーズ。

第三回は、Tシャツ専門のコミュニティブランド〈EIJI〉を企画する三恵メリヤス株式会社の常務取締役 三木健さん。

100年以上継承されてきた職人の技術を結集し、紡績から縫製までの全てを、かつて日本一の「繊維のまち」として栄えた大阪でおこなうALL MADE IN JAPANのTシャツを手がけている。

三木さんは大正15年に創業した三恵メリヤス株式会社の三代目の現社長の元に生まれ、幼い頃から縫製業を身近に感じながら育った。現在は同社にてEIJIのプロデュースを中心に、職人の技術の継承と、新たな担い手の育成に力を注ぐ。

写真左:三木さん 写真左:副社長の尾崎さん

品質に徹底的にこだわり、何年も使い続けることを前提に置いたEIJIのTシャツ。

大量生産・大量消費が豊かさの象徴であった時代から、良いものを少量持つことに価値を見出す時代へと、昨今は消費の価値観は移りつつある。そんな時代にあって、EIJIのTシャツは時代に即したものであると言えるかもしれない。

しかし、EIJIが企画された当時も今も、その価値観が当たり前と言えるほどに世の中に浸透しているとは言えないだろう。そんな中で、長く着られるTシャツを生み出し、多くの人の元へ届けるために奔走する原動力はどこから来るのだろうか。

肌で感じる、幸せ

EIJIのTシャツは「人生で最高の一枚を。」というコンセプトを掲げ、約2年の開発期間を経て誕生した。ここでの「最高」が指すのはTシャツのデザインのことではなく、機能としての着心地だ。何がプリントされているか、ということが重視されるTシャツ市場の中で、EIJIは純粋に着心地の良さ、ものとしてのクオリティを突き詰めている。

実際に袖を通してみなければなかなか伝わりにくい感覚かもしれないが、EIJIのTシャツはとにかくなめらかで、ふわっと軽く、着れば着るほどに肌に馴染んでいくのが特徴だ。巷で人気のヘビーウェイトのTシャツも、通常はその生地の厚さがためにごわごわした着心地になってしまうものも多いが、EIJIのヘビーウェイトはもっちり柔らかい。筆者が実際に試着させてもらうと、どちらのTシャツも、いつものTシャツとは違う、はっきりと感じられる心地良さがそこにはあった。

三木さん曰く、EIJIはファッションではないのだそうだ。着た時に感じる幸せ、それは例えば、朝目覚めて美味しいお茶を口にした時のような感覚。EIJIというブランドのTシャツは、そんなものの良さを直感的に感じられる境地に辿り着くことを目指しているという。

「最高」であるためには、妥協は許されない。三木さんはEIJIの開発当時、Tシャツに使用する素材の取引先の工場を一社一社訪ね、丁寧に時間をかけて最高の素材、最高の組み合わせを模索していった。それほどまでに「最高」にこだわるのにはどんな背景があったのだろうか。

「最高」でなければならない理由

EIJIの誕生秘話の前に、三木さんが子どもの頃に悩んだと言う話をご紹介したい。

それは、三木さんが小学生だった頃のこと。ある授業で、木こりの仕事がなくなっているということを知った。チェーンソーが開発されたことにより、木こりが長い年月をかけて培ってきた熟練の技術が必要とされなくなったからだ。三木さんはその話を聞いて、どうした木こりが生き残れるのか、子どもながらに本気で悩んだそうだ。実家が町工場ということもあり、他人事とは思えなかったのだろう。

「小学生なりに出した答えが、地球上の最後の木こりになればいいんだ!ということでした。最後の木こりになれば、“最後のきこりが切った木”っていうことで食べていけるし、買ってもらえるって思ったんですよね(笑)」

小学生らしい答えといえばそうかもしれない。しかし、三木さんが身を置く国内の繊維業界は、まさに今、この木こりの話をなぞるような状況にある。平たく言えば、国産の衣類は絶滅しかかっているのである。

かつては高い技術を持った職人を多く抱えていた町工場だったが、大量生産・大量消費の時代において、職人が時間をかけて丁寧に仕事をするのでは需要を賄うことができない。やがて訪れた機械化の波によって、町工場は次々と廃業に追い込まれていった。繊維業界は縮小し、今や最盛期の約4分の1の規模となっている。

昭和40年代 三恵メリヤスの社員一同の記念写真

そんな繊維業界において、EIJIのTシャツはまさに“最後の木こりがきった木”。機械によるものづくりは、たしかに速く、効率的だ。しかし、その効率を実現するために切り捨ててきたものもある。

だからこそ、機械によるものづくりとは別の土俵で勝負をかける。

すなわち、職人の技術がなければ生み出せない、「最高」のものづくりをすること。

それが、国産の衣類が生き残るための、三木さんなりの答えであり、EIJIが誕生した背景だ。

EIJIのTシャツは、糸を紡ぐ紡績から縫製まで、全てを一貫して大阪の町工場で行っている。どこか一つでも欠ければ、EIJIではない。EIJIが単にブランドではなく、そこにコミュニティという名を冠しているのも、その地域全体として、ひいては業界全体として次の世代に繋いでいくという強い意志が込められている。

EIJIの名前は、長い時間をともに歩む意を込めた「aging(エイジング)」と、
創業者で曽祖父の名前「えいじ」に由来する。ロゴマークはメイドイン大阪の「O」、ブランド開始当時が創業90周年だったことにちなんだ「90」を糸のイメージに乗せたデザイン。
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タグの裏にはTシャツの製造に関わった全ての工場の名前が記されている。

大切なものは思い出も引き継いで、ずっと持っていたい

EIJIというブランドには、もう一つ大きな特徴がある。それは、生涯保証がついてくるということだ。Tシャツに生涯保証、というのも衝撃だが、さらに驚くのがその価格設定。襟袖のよれなどは無料で直してもらえる。穴などの大きなダメージも、ポケットをつけて補修するなど、相談次第ではあるが概ね二千円前後で生まれ変わらせることが可能だ。

直すことに対しては利益を求めない、と言い切る三木さん。本物の自信と誇りがあるからこそ、一枚のTシャツが長く誰かに寄り添うことに喜びを感じるのだろう。

「例えば首が伸びてしまったのを直すのが四千円とかだったら、新しく買いたいってなるじゃないですか。もちろんそれがダメではないですけど、例えば彼女からもらったものとか、息子が買ってくれたり、奥さんが買ってくれたりしたものだったら、やっぱり、その時にもらったそれを着たい。そんな気持ちに応えられるサービスと仕組みを僕は作りたいと思ったんです。

それは(値段を)高くしちゃだめだと思って、高いからやらないっていう選択肢がなるべくないように準備したいなって思っています。」

そう語る三木さん自身、人からもらったものや、思い入れのあるものは中々捨てられない性格だという。EIJIの生涯保証のサービスが生まれる原体験とも言えるエピソードを話してくれた。

「イギリスに住んでいたことがあって、その時期に着ていたのが、大学を卒業したときに買ったツイードのジャケットでした。でも、気に入ってずっと着ていたから、ほつれたり、内側が破れちゃったりとかしていて。どうしようか悩んでいうちに、冬が終わったのでクリーニング屋に持っていくと、修理できますって買いてあったんです。

イギリスにはクリーニング屋で修理をする文化があって、相談したら、パッチを張ったり、詰めたりしたら修理できるよってなって。パッチもどんなのがいいか生地を見せてくれるんです。

次に洗濯物を取りに来るときに直しとくよって言われて、4日くらいで直してくれましたね。それで、十数ポンド。当時の値段で大体二千円ちょっとでした。」

イギリスのクリーニング屋で修理してもらったというツイードのジャケット

他にも、祖母からもらったお下がりの財布の留め金が壊れてしまった時には、ブランドの修理センターに持っていき、その時は無料で直してもらえたそうだ。そうした粋なサービスの存在が、三木さんの感性にはっきりとした輪郭をつけていった。

EIJIには、「ひとつのものが大切にされ、永く愛されるためにものづくり」という大切な価値観がある。十数年も前のエピソードだが、やがてEIJIが生まれるための微かな胎動が、すでにそこにあったのかもしれない。

家業が自分の居場所になるまで

子どもの頃のエピソードも然り、三木さんの手によってEIJIが生み出されるのは必然だったように思える。しかし、青年時代の三木さんは家業を継ぐ意識こそあったものの、自ら距離を置いていた部分もあったという。

「繋いでもらったバトンをみんなの期待通りに繋げないんじゃないかっていう恐怖心が子どもの頃からすごくありました。自分の能力の至らなさのせいで、今までやってきた人たちに迷惑をかけるんじゃないかって。」

自分の可能性をためしたい気持ちもあり、大学時代にはベンチャー企業の集まりに参加し、自らも留学ビジネスを起業。卒業後も仲間と共に事業を拡大していった。

留学関連の仕事で世界各地を飛び回っていた(左から、シドニー・オークランド・イギリス

そんなある時、現社長である父親が一時的に入院し、家業をサポートする人材が必要だという知らせが入る。幼い頃からうっすらと見えていたバトンをいよいよ受け取らなければならない。それは、三木さんにとても勇気のいることだった。

ところが、当時の感覚を聞くと、子どもの頃に感じていた恐怖心とは裏腹に、思いのほか「しっくりきた」と三木さんは話す。近づいてくるバトンの重みに背中を押されて勉強してきたこと、自分の可能性をためしたいと挑戦してきたこと。そのどちらもが、知らず知らずのうちに、三木さん自身の方向性を定めていたのだ。

「仕事が自分の中に腑に落ちました。逃げないと言うか、覚悟を決めたと言うか。こそばゆい言い方をすると天命という感じですかね(笑)」

今となっては、この仕事は三木さんという人そのもの。恐怖心や迷いもあったが、小さい頃ころから生きてきた場所にようやく繋がった。

「自分がここまでくるまでにみんなに助けてもらったりとか、可愛がってもらったり、支えてもらったり、ルーツであるってことでもあるんだけど、仕事をやってみて、この仕事を一生やっていていいんだって思えました。」

自分が受け継いだバトンを、今度はどうやって次の世代に繋いでいくか。それが、三木さんの次の仕事だ。

職人とともに、次の世代の「最高」を。

三木さんは現在、若い職人の育成に力を入れると同時に、熟練の職人が持つ技術の価値をしっかりと伝えていく方法を模索している。

同じTシャツを作るにも、一番腕の立つ職人が作ったものと、若い職人が作ったものとでは、積み重ねてきた経験の量に圧倒的な差がある。優劣ではなく、職人の技術へのリスペクトという意味で、それぞれが適切に評価される見せ方をしたいというのが、三木さんの想いだ。

「ものづくりのプロセスを知った上で、これから伸びるであろう若い子のものを買ってあげたいと思う人もいれば、たとえ価格の差があっても一番熟練の方のものが欲しいと言う方もいるでしょう。そういうプロセスを踏まえたものづくりを、興味のある人には見てもらいたいなと思います。そうすることで、それを持つことの喜びや楽しみが広がるような気がするんですよね。」

(スライド)町工場での作業の様子

仕上がったTシャツをただ売り捌くのではなく、その背景を丁寧に伝え、誰かの手元に旅たった後も責任を持つ。EIJIのTシャツは人情と心意気に溢れている。

最後に、三木さんはEIJIの将来をこう夢見る。

「続けていった先に、突然変異が起こるんじゃないかって思ってるんです。
今は若い職人たちがTシャツを作り続けていった結果、今のTシャツの亜種というか、Tシャツだけど何かが違うよね、っていうものが何か生まれるような気がするんです。技術と若い職人の感性で、新しいジャンルが生まれるんじゃないかって。」

受け継ぐことは重要だが、それは単に昔を懐かしんでいるのではない。良いもの、良い技術は残し、その上でさらに良いものを生み出す。ものづくりには、満点も終点もない。

EIJIのTシャツが常に「最高」であり続けるために、三木さんと職人は今この瞬間も汗を流している。

コミュニティブランド「EIJI」公式HP


三恵メリヤス株式会社 常務取締役
三木健 さん プロフィール

大正15年に創業した三恵メリヤス株式会社の三代目の現社長の元に生まれ、幼い頃から縫製業を身近に感じながら育った。現在は同社にてEIJIのプロデュースを中心に、職人の技術の継承と、新たな担い手の育成に力を注いでいる。

(取材・文 三山星)