企画展「はじまりの白」(2021.8.1~10.24) に出店してくださる皆様に、
なぜその分野で生きることを選んだのかを聞くシリーズ。
第4回は、自然循環型の農法で安全と美味しさを追求した農産物を生産する、株式会社山燕庵の代表取締役 杉原晋一さん。石川県能登半島で育てた米や、その米を使用した玄米甘酒『玄米がユメヲミタ』、米ぬかから作られたカイロ『ぬくぬくのぬか』などの加工商品を手掛けている。山燕庵は、社員が杉原さんと父の2名という小規模ながら、米の加工品界隈では確かな存在感を放つ、2008年創業の企業だ。
杉原さんは、IT業界から脱サラ、農家へと転身したという経歴を持つ。
ハードな仕事を日々こなす中で、自然を感じられる働き方に憧れる人も少なくないかもしれない。
しかし、それを実際に行動に移せるのはごく僅かな人たちだ。
杉原さんが大きな選択をするに至るまでには、どんな経緯があったのか。
そして、その選択の先で、どのような挑戦をしているのか。
幼少期から現在まで、杉原さんという人が辿ってきた道のりを紐解いていきたい。
山燕庵の杉原晋一さん
価値観を育んだ原風景
杉原さんは神奈川県横浜市鶴見に生まれ、同県川崎市の多摩区で育った。
当時この町はニュータウンで、開発されていない裏山や、畑といった自然を感じられる風景が残っていたという。実家での暮らしは、家庭菜園で野菜をつくったり、近所の裏山で犬を散歩したりと、日常の中に自然を感じることが当たり前だったそうだ。
「虫や鳥とか見ながら毎日過ごすことが楽しくて、多分それが、僕の価値観の原点にあるんだと思います。」
あるいは、杉原さんの祖父が米屋を営んでいたことも、杉原さんの原体験を語る上で欠かせない要素だ。幼少期は米俵の上を飛び跳ねたり、高校生の頃には米を配達するアルバイトをしていたこともあるとか。
米屋の祖父がいて、自然を感じながら育ち、今は父と共に自分も米に携わる仕事をしている。と、言葉にすればあまりに真っ直ぐな道のりだ。実際、杉原さん自身も、今振り返れば導かれてきたような感覚があると話してくれた。
しかし、農業の世界へ辿り着くまでには、農業とは無関係の分野に興味を持ったこともあれば、就職や仕事に悩んだこともある。
ここからは、学生時代から会社員として働いていた時代に、さらに遡ってみよう。
IT革命の時代、最先端のビジネスを渡り歩いた
時は杉原さんが高校生の頃。その頃から、杉原さんの趣味は映像の撮影や編集することだ。
お年玉でビデオカメラを買い、部室での様子を撮影しては父のパソコンで動画を編集していた。日常を切り取った映像を作ることが得意だった。
その後、大学を卒業したのはIT革命が叫ばれた2000年代。大学では国際関係学を専攻したが、就職の方では趣味を生かす形で、当時最先端のエンタテイメント・ビジネスを仕掛ける会社に入社した。現在のYoutubeやAbemaTVの先駆けとも言える、複数のチャンネルで24時間コンテンツを配信し、広告枠を販売する会社だ。
入社するとすぐに、撮影や映像編集、動画配信 、動画関連のアクセス解析など、スキルを活かせる仕事を任された。だが、ほどなくして、ITの力をより効率に利用できるスキルを身につけたいと、マーケティングリサーチの会社に転職。
そこで待ち受けていたのは、大量に集められたデータを集計し、常に数字と向き合う仕事だった。
当時まだまだ新しい形だったマーケティングビジネスは、学べることも多い一方、厳しい世界でもあった。あまりのハードワークに、仕事を続けていくにつれ、心身ともに衰弱していく自身を感じていたそうだ。
杉原さんは、当時のことをこう振り返る。
「物事をロジカルに考えるっていうことは、そこで学べた気がします。ただ、ベンチャー企業ということもあって、人手が足りないので、労働時間的にも厳しかったんですよ。今週タクシー何回乗ったっけ?みたいな日が続いて、蕁麻疹も出てきちゃうし、考える視野も狭くなって、食生活もおかしくなっていきました。」
そんな時、杉原さんの父が定年退職し、福島で米作りを始めることに。
仕事の気分転換も兼ねて手伝いを始めると、自然と触れ合う仕事に大きな魅力を感じたそうだ。
「農業とか自然に触れ合う仕事ってめっちゃいいじゃんって。何が良いって、本質的な価値観そのものを仕事にできること。
データをこねくり回した複雑怪奇でよくわからないものとは全く逆にある、生命そのものを作ることにすごく魅力を感じました。実際、そっちに集中すると体調が良くなるんですよね。心も元気になっていきました。」
この頃、杉原さんは休養のために一時仕事を離れて過ごしていた。自分の方向性を定めるために、何冊ものノートに自分自身への問いを綴り、整理しながら、過ごす日々。そんな中で、杉原さんの望みは次第にはっきりとした輪郭を描くようになっていった。それは、シンプルに「幸せだ」と思える環境に身を置くこと。それを実現できるのは、父と一緒に米作りをして生きていくことだった。
自分が本当にやりたいことは一体何なのか?という問いに、真剣に向き合うべき時が訪れていた。会社員としてのキャリアを積んで約10年。杉原さんは会社を退職し、農業の道に足を踏み入れた。2011年のことである。
山燕庵の仕事は、おおらかで、ロジカル。
最先端のビジネスを経験した後に飛び込んだ、農業の世界。杉原さんは自然の循環の大切さを伝えていくことを自らの使命とし、そこでの農業のあり方を「深呼吸農法」と名付けた。それは、育て方というよりは、深呼吸をしながら農業をしていますよ、というメッセージのようなもの。山燕庵をのキャッチフレーズとしても使われる言葉だ。
「僕の体験を言葉にしたような感じですね。僕は自然の営みに救われたし、新たな仕事もできたし、いろんな新しい人と出会えた。
豊かな生き方って、やっぱりこの自然の営みをどれだけ感じられるか、人間のアンテナをどれだけかなりオフにできるのか、ということに掛かっているんじゃないかなと。(深呼吸農法は)それをすごく崩して表現した言い方ですかね。」
深呼吸、という言葉には、自然に触れて心が解放されるような感覚を想起させるおおらかさがある。都会で身を削るようにして働いていた杉原さんが手がける商品にこそ相応しい表現だ。
商品のラインナップやデザイン、商品名にも、「深呼吸農法」を思わせる柔らかさ、おおらかさが表れている
そんな杉原さんだが、一方で、前職でマーケティングリサーチに関わってきただけに商品開発や販路拡大に関しては非常にロジカルだ。
山燕庵が掲げる目標は、「自然の循環の大切さを多くの人に気づいてもらう」こと。
それを追求していく上では、商品自体を多くの人に知ってもらうことは不可欠だ。
そのために、ターゲットとなる消費者といかに接点を作るか、あるいは、業界の勢力図を冷静に見極めた上で、市場にもたらすインパクトをいかに大きくできるか。杉原さんの穏やかな口調とは裏腹に、語られる話の内容はなかなかに緊張感のあるものだ。
山燕庵の一番のヒット商品といえば、現在は玄米甘酒『玄米がユメヲミタ』だが、杉原さんが今後さらに成長させたいのは米ぬかカイロ『ぬくぬくのぬか』だという。
「甘酒は大手企業がどんと市場を握っているので、今の位置をキープしつつ、ちょっとずついいお店を伸ばしていきたいですね。
一方で米ぬかのカイロはまだまだ認知度が低いのでチャンスだと思っています。温かくて、身体にも良くて、デザインの仕方も無限大の、めちゃめちゃいい商品。だからこそ、企画次第でいくらでも発展させられると思っています。」
米ぬかカイロの次なる一手は、海外進出だと話す杉原さん。実は、世界には種子や穀物を内容物とするカイロが様々存在するのだそうだ。それはつまり、繰り返し使えるカイロはすでに世界的にも馴染みがあるということ。その市場に、日本を代表して挑む。鍵になるのは、米ぬカイロに日本らしい付加価値をつけていくことだ。
「日本の古い着物の柄のいけてる部分を切り取ってカバーにしたら、すごくユニークな商品になるんじゃないかなって思っています。着物をカバーにしたら、それが日本のどんなエリアで、いつ頃に使われていたかっていう、タグを付ける。そうすれば、限定物としての価値をかなり高められる気がするんですよね。」
新商品の企画をしつつも、次々に増やすのではなく、今ある商品たちをきちんと育てていくこと。この発想は前職で育んだ感覚でもあり、同時に、一つ一つの商品に愛着を持って消費者へ届けたいという心意気でもあるのだろう。
おおらかに、一方ではロジカルに。それが山燕庵の魅力であり、強みでもある。
いつ、どこにいても、自然は感じられる。
杉原さんが現在拠点とする埼玉県川口市の本社の前には川が流れている。
東京都のほど近く、自然を感じられる街とは言い難い場所にあって、実はこの川には翡翠(カワセミ)などの野鳥が飛んでくるのだとか。意識しなければ気付けないけれど、確かにそこに存在する自然の一片。それを見出すことのできる感性が、杉原さんと今の仕事を繋げたのかもしれない。
山燕庵の米の生産地は石川県だが、仕事の都合上、大自然といえる環境に身を置ける時間は限られている。それでも、普段の生活の中で自然の恵みに心を寄せることは忘れない。
「普段から植物を育てることをしています。なぜそれが良いかっていうと、自然の営みを非常に体験しやすいんです。例えば、旬が分かるようになるので、野菜にしても、スーパーで季節を問わず買うんじゃなくて、旬の物を適正価格で買う。経済的にすごく良いし、自然にとっても良いんじゃないと思っています。」
今の季節は朝顔も育てています、と笑う杉原さん。迷いも偽りもない、自然体の笑顔だった。
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青春時代には誰しも様々な夢と憧れを胸に抱く。だが、その根底にはいつも幼少期の原体験が存在している。そこに反発する人もいれば、原点へと立ち返っていく人もいる。あるいは、いつの間にかそんな原体験は忘れ去り、影響を受けていることにすら気付かず歳を重ねていく人もいるかもしれない。
だが、杉原さんにとってのそれは、大人になり、紆余曲折を経ても失われることはなく、確かな存在感を持って杉原さんの中に息づいていた。
現代は、選択肢は多いにもかかわらず、すさまじい速さで時が過ぎていく時代だ。
そんな時代にあって、杉原さんは自ら立ち止まり、人間の短い一生を、人間にとって丁度良いスピードで、一歩ずつ踏みしめながら進んでいく生き方を選んだ。
過去と未来を一本の軸に紡ぎながら、杉原さんの感性や価値観はこれから先も、米と自然とともに更なる輝きを放っていくことだろう。
株式会社山燕庵 代表取締役
杉原晋一(すぎはらしんいち)さん
プロフィール
映像制作会社、大手マーケティングリサーチ会社を経て、父が2005年に立ち上げた山燕庵(さんえんあん)へ合流。商品は日本百貨店、SHIRO、TODAY’S SPECIAL他、全国のセレクトショップで発売中。
山燕庵が生産する最高級品質のお米は赤坂の和食料亭「山ね家。」、日本橋の寿司店「蛇の市本店」、スウェーデンの和食レストランhozeでも提供されている。そのお米を使って開発された玄米甘酒「玄米がユメヲミタ」は自由が丘shiro cafeでのコラボドリンクや、代官山Why Juice?での提供などでも注目を集めている。
(取材・文 三山星)